パリで聞いた衝撃の事実 [D-LUX3]
パリではいろんなものを食べた。
中でも旨くて驚いたのは、
パリ市内で2度食べた生牡蠣、
モンマルトルのカフェで頼んだオニオングラタンスープ、
そしてベルサイユ宮殿の晩餐会で出たキッシュ。
でも一番の驚きはワイン。どの店で飲んでも、リーズナブルなワインでも、とにかく旨かった。
旅の最終日。
夕食を共にしてくれたMさん(パリ在住10年の日本人)に僕がそう言うと、彼女はニッコリしながらこう言った。
「私は日本でワインは飲みません。日本では日本酒を飲みます。だって日本のワインは美味しくないですから」
えええ!いきなりの全否定に驚く僕。
確かに日本で飲むワインと、パリで飲むワインは、何かが違う。
それは雰囲気や気分の差なのかと思っていたが、Mさんの次の言葉が決定的だった。
「日本に入るワインは赤道を通るときに“沸騰”するんです。一度沸いたら風味も何もありません」
つまりこういうことだ。
業者が安いワインを大量に買い叩くとする。
当然輸送コストを抑えたいから温度管理なんてしない。
まるで工業製品でも運ぶようにコンテナに積み、えっちらおっちら船で日本に運ぶ。
ヨーロッパと南米の船は、途中確実に赤道を通る。
どこで何度になるのか知らないが、きっと40度以上になるときもあるだろう。
赤ワインの適温は18度から20度と言われているにも拘わらずだ。
これを業界では「沸騰する」と言うらしい。
沸騰すると、ワイン本来の風味は損なわれ、薬品が前面に出て来る。
「じゃあ、あの最後の渋みは、酸化防止剤とか防腐防止剤の味ってことですか?」
Mさんは返事をする代わり、グラスを手にニッコリ微笑んだ。
言われてみれば海外で飲む日本のビールも美味くない。
ということは?
「地のものを飲むのが一番です。フランスならフランスのワイン。イタリアならイタリアのワイン」
「日本なら日本のワイン?」
「そうですね」
「えー、日本のワインって美味しいかなあ」
「日本でワイナリーに行かれたことありませんか?」
「あります、山梨とか。あ、確かにそこで飲んだのは美味かった」
「でしょう?」
とにかく。
日本で外国産のワインを飲みたければ、「輸入の際に温度管理されたワインですか?」と聞くこと。
その質問に答えられない店員がいたら、その店のワインは飲んではいけません、とMさん。
ワインの品質にこだわる店なら輸入元は店の生命線。その情報を店員が知らないわけがないのだ。
パリ最終日。
僕はMさんに勧められたチーズを買いに行った。
オレンジの皮で包んだチーズ。臭いけど美味しいと聞いて買いに行く。
帰国後。きちんと温度管理をして輸入している店でワインを買う。
そうそう。
そういう店でどんなワインを買えば良いかきっと悩むと思う。だって値段はピンキリ。
しばらく考えて僕はこういう作戦に出た。
「この店で一番安いボルドー出して」
店員はうろたえることなく、こちらでございます、と案内した。
1本1,900円。このワインがそこそこの味なら、この店のワインはホンモノだと思った。
そして僕は国産の赤ワインをもう1本買った。こちらは2,400円。
さてその味は…?
どちらも悪くない。チーズも抜群に美味くて感激である。
教訓。
ヨーロッパと南米の箱売りされている激安ワインは、“沸騰”しているから要注意。
ではカリフィルニアワインはどうなんだろう?
2010年9月10日のエッフェル塔 [D-LUX3]
パリに到着し、ホテルで荷をほどいたのが夕方。
夕食の前にエッフェル塔を見に行く。
間近で見るのはこれが初めてだった。
美しい。
映像では何度も見たことのあるパリのシンボルも、実際に来てみないと分からないことがある。
エッフェル塔は、東京タワーと違い、真下から覗くことが出来るのだ。
展望台へは塔の足を通るエレベーターで登るそうだ。
登ってみたかった。
でも、エレベーター待ちの行列を見て断念。
ガイド役を引き受けてくれたマドモアゼルが、「ネットで予約できるので、見てみます」と言う。
それはありがたい。
到着したのは金曜日。
麓の公園では映画が上映されようとしていた。
何を?
聞いたら、HIVキャンペーンの映画らしい。
パリの夕暮れ。
人々の志も美しい。
サン=ルイ島 [D-LUX3]
セーヌ川の中州。
パリ発祥の地と呼ばれるサン=ルイ島で、アイスクリームを食べながら呆けていたら、騎馬警官と出会った。
そういえば16年前にも見かけて、すごくビックリしたことを思い出した。
2度目なので、アイスは落とさずに済んだ。
versailles [D-LUX3]
先週日曜。
ヴェルサイユ宮殿での晩餐会に招かれた。
人生、何が起きるか分からない。
だから楽しい。
生きてるだけで丸儲け。
ファーストコンタクト [D-LUX3]
8月11日(水)15時43分。娘が産まれた。体重3,490グラム。
産まれた瞬間、僕は病院に向かっている最中だった。
帝王切開で出産した妻は、麻酔の効きが悪かったための痛みと、
出産の感激とが相まって大泣きし、
おかげで娘との初対面は「よく分からなかった」と言っていた。
翌日。
「手術跡が痛い」と言いながらも、妻は娘逢いたさに何とか立ち上がり、
新生児室へ入ったのは14時前。
妻に付き添って新生児室に向かう途中、初の授乳シーンをカメラに収めようと、僕は一旦病室に戻り、
カメラを手に新生児室に入ったら、妻は娘にミルクをあげながら「可愛いぃぃ」と号泣していた。
妻の感激ぶりは僕の想像をはるかに超えていた。
「ね、ティッシュちょうだい」
「その前に、写真撮らせて」
「やだ、こんな顔。早くティッシュ取ってよ」
「すぐだから、ちょっと待って」
こんなやりとりをしながら、“幸せの涙”にくれる妻と娘を撮った。
授乳後、すっかり落ち着いた娘が妻の指先を握っていた。
これから何十年とつなぐだろう母と娘の手。
今度は僕が泣けて来た。